私は高校3年間をオーストラリアで過ごしました。この留学を決断した背景には、以前に紹介した通り、高校を退学せざるを得なくなったことがきっかけでした。
今回は、なぜ退学せざるを得なかったのか、その実情について率直にお話ししたいと思います。
【当時通っていた高校】
偏差値70の中高一貫校
当時通っていた高校は、偏差値70の私立高校であり、ある有名な進学校でした。この学校は中高一貫校で、私は中学受験を経て中学からこの学校に入学しました。
中高一貫校の特徴として、高校に入学した途端に教師陣などが一切異なります。しかし、高校に進学すると、教師陣や環境が一変します。なので中学部の教師は、私達が高校に進学した途端にほとんど顔を出さなくなります。
この学校の雰囲気は、何よりも勉強が優先されるという強い文化がありました。部活動や他の活動よりも、勉強が絶対的な優先事項であるという風潮が支配的でした。
退学者の増加
現在、この学校には真面目で勉強に励む生徒しかいない印象があります。
しかし、数年前までは私の一個下の学年でイジメによる自○者がいたり、教員の財布を生徒が複数回盗むなどして教員がノイローゼになってしまうなど、結構荒れている印象でした。また、多くの有名芸能人などが学校に通っていたりもしました。
こんな問題の絶えない学校ですが、ある時期を境に多くの人が一発退学になっていくようになり、素行不良者などの反乱分子の浄化作業が学校内で行われていきました。
そして、高校に内部進学してすぐに、私もその内の一人となってしまったのです。
【私が退学となった理由】
中学生の時に二度と悪さをしないと誓約書を書く
私は中学時代に、学校での勉強に対する強制的な環境や、教師への反抗心から、ストレスを感じ、学内外で問題行動を起こすようになりました。
例えば、学校の外では「ファイトクラブ」という名前で仲間内で喧嘩の強さを競い合い、ヒエラルキーを形成し、一番下の人をパシリとして使うような過激な活動を行っていました。
ファイトクラブ以外にも、火遊びや他の学校との衝突など、学外での問題行動が日常的になっていきました。
そして、これらの問題行動が蓄積し、中学3年生の頃には、誓約書を書くまでの段階に至りました。この誓約書には、「次に問題行動を起こした場合には学校から退学処分を受けることに同意する」といった内容が記載されていました。
高校に入っても生活態度は変わらず
高校に進学し、学校が一気に受験勉強モードに変わり、周囲の教師からの「勉強しろ!」というプレッシャーに日々強いストレスを感じていました。
私は勉強や何かを強制されるのが苦手で、「この学校をやめたいな~」と考えていました。ただし、実際には退学するとどこにも行く場所がないため、そのまま学校に残ることを選びました。しかし、このような環境は日増しに私にとってストレスの原因となっていきました。
さらに、以前に誓約書を書いたにも関わらず、教師との対立が再燃し、口をきかなくなり、授業を妨害するなど、再び問題行動が増えていきました。
退学になった決め手
私の退学の決定的な要因は、友人だと思っていた人に裏切られたことでした。
当時、私を含む約10人の仲間がグループを作り、一緒に行動していましたが、その中の一人が毎日のように私たちの問題行動を学校に密告しました。
友人と思っていた彼は、実際には私たちとの付き合いを避けたいと考えていたのかもしれません。
そして、密告が行われた翌日、私を含む3人は中学時代に書いた誓約書の内容に基づいて退学処分を受けることになりました。
※後日、事情を聴かずに翌日に退学処分が下されたことから、学校は弁護士団体からの厳重な注意を受けています
【強制退学になった3人は全員が早稲田大学に進学】
教師への復讐心を勉強へ
退学になった3人は、見出しにもある通り、全員が早稲田大学に進学することができました。
私はオーストラリアの高校に留学することを決意しましたが、他の2人の進路は異なり、1人は都立高校に転入し、もう1人は幼少期にアメリカで過ごしていたため、アメリカの高校に留学しました。
高校を退学になったことから、当時は人生が終わったように感じていました。
しかし、幸運なことに、全員が新たな進路を見つけ、異なる道を歩みました。難関大学への進学は、退学したことから教師に対する意気込みとも言える挑戦でした。
当時の教師たちは日東駒専やマーチ出身であり、彼らを見返すという意欲を持っていました。
3人は早慶以上の大学を目指し、留学中でも定期的にアメリカ、日本、オーストラリアの3カ国間でSkype通話をし、お互いのモチベーションを高め合っていました。
最終的に、3人は異なる入試方法(AO入試、一般入試、帰国生入試)を通じて早稲田大学に合格し、その喜びをSkypeで報告し合った瞬間は今でも鮮明に記憶に残っています。
退学にしてくれたことに感謝
最近、私たち3人がよく話すのは、「あの時退学にされてなかったら…と思う方が怖いよね」ということです。
私は英語も分からないまま、オーストラリアの高校に留学して多くの困難に立ち向かいましたが、あの学校にとどまっていたら絶対にできなかったであろう経験を積み、大きく成長できたと感じています。
他の2人も同様で、退学後も大きな困難に直面し、それを克服してきたからこそ、今は皆が笑顔で過ごせているのだと思います。
だから、あの時は絶望しか感じなかった退学処分ですが、今では本当にあの学校にとどまっていなくて良かったと心から思っています。
【まとめ】
退学になったことで、私と他の2人の人生は大きく変わりました。
しかし、確かなことは、退学が私たちにとってプラスに作用したということです。
おそらく、あの学校に残っていたら、今の自分は存在しないでしょうし、このブログも書いていなかったでしょう。
当時は絶望的な状況でしたが、今では「あの時退学になっていなかったら…」と思う方がはるかに恐ろしいと感じます。
ですから、何か問題で学校を退学したり、中退したりした人たちに対して、決して諦めずに逆にチャンスと受け止め、挑戦し続けることで、必ず生まれ変われることを最後に伝えたいと思います。